はじめまして 院長の藤井康徳 ふじい やすのり です

初めて当院に来院されるときには「どんな先生が施術してくれるのだろう?」と、さまざまな疑問を感じることもあるかと思います。そこで、あなたがはじめて来院されたときに、少しでも安心しながら治療を受けていただくために、私のことについてお話をさせていただきます。
国家資格
- 柔道整復師(ケガのスペシャリスト)
- 鍼灸師(東洋医学のスペシャリスト)
- あん摩マッサージ指圧師(手技療法のスペシャリスト)
経歴
- 1986年 12月に千葉県柏市、大野産婦人科にて産まれる
- 2005年 長尾谷高等学校 卒業
- 2010年 京都仏眼医療専門学校 柔整科卒業
- 2013年 京都仏眼理療専門学校 鍼灸科卒業
- 2016年 京都仏眼理療専門学校 選科卒業
勤務経歴
- 2010年 おおた鍼灸整骨院 勤務
- 2014年 かねこ整形外科リハビリ科 勤務
- 2016年 おおえのきトータルヘルスケア 勤務
- 2018年 まの鍼灸接骨治療院 開業
歯科医師である両親の息子として生まれる
私は1986年12月9日に千葉県柏市で産まれました。育ちは滋賀県です。
私の両親やまわりの親族も医療従事者ばかりなので、幼少のころから「医療を感じられる環境」で育ちました。祖母は戦後間もないころの産婦人科医師で厳格な人格だったので「この子は言うことを聞かない子だね」とよくお尻を叩かれていたことを覚えています。そんな厳しくも優しい祖母の手に導かれて、私はこの世に生まれてきました。
祖母は終戦したあとの日本が復興をとげるなかで医師を志して、昭和30年に産婦人科クリニックを開院してから60歳までお産業務をおこない、80歳になるまで診察を努めあげました。そんな祖母は地域医療にも大きく貢献した人物でした。つらい健康問題に悩んでいる人たちを救済するために、年老いてもなお現場にこだわりつづけた祖母の孫であることは、私のささやかな誇りでもあります。
そんな環境で育った私は、子供のころから医療人になるように教育を受けてきましたが、けして順風満帆ではありませんでした。
実は学生時代にはさまざまなプレッシャーに耐えかねて、何年も不登校になっていたときもあるのです。そのため思春期には、世の中からの疎外感や劣等感を感じつつ、卑屈になっていた時期もあります。いたらないとこだらけの私でしたが、やはり大人になるにつれ遺伝子がうずき始め、成長とともに「祖母や両親のように医療人として人を助ける仕事がしたい」という思いが強くなり、治療家を志すことになったのです。
私はこの「治療家」という仕事がとても大好きです。伝統により受け継がれてきた療術をほどこすことでつらい健康問題に悩んでいる人たちが、悩みを解消して笑顔になり元気になっていく姿をみていると生きがいを感じるのです。
治療家という仕事は手術や点滴などの薬物によるアプローチはできません。しかし、伝統により培われてきた療術による知恵や技術は、西洋医学にも決して劣らない確かな力があることは間違いありません。
私は尊敬する祖母のように「晩年になっても臨床の現場に立ち続けること」がいつの頃からか人生の目標になりました。私はたとえ100回生まれ変わっても、また同じ職業を選択することでしょう。
突然の病
私は、子供のときのさまざまな出来事をのり越えて「医療人になって病気に苦しんでいる人を助けたい」という志を持ち、治療家を育成するための専門学校に通い始めました。初めの頃は授業についていくことに必死だったので、毎日がむしゃらに勉学に打ち込んでいました。
ところが、思春期にはスポーツに打ち込んでいたため体力には自信があったものの、ストレスや不摂生からくる悪影響がたたり、21歳のときに大病に襲われてしまいました。病気というのは恐ろしいもので、ひとたび発症すると坂道を転がるように健康状態は悪化しつづけていき、体のバランスがどんどん壊れていきます。
当時は病名がよくわからずに、症状だけがどんどん悪化していくことに恐怖をおぼえながらさまざまな総合病院をかけめぐり、やっとの思いで正しい病名と治療法をみつけだしました。
しかし、それからは治療の効果があらわれず症状は悪化していくばかりで、ついには学業をも休学せざるをえなくなりました。当時は「頑張ろうとすればするほど、病気が邪魔をしてくる…」というつらい状況に嫌気がさしつつ、しぶしぶ休学することを選びました。それからの数年は、さまざまな治療を試みたもののつらい症状が改善することはなく、合併症を併発してしまい入退院をくり返すつらい時期もありました。
入院している病室から見えた花火大会を眺めつつ「なんで自分だけこんな辛い思いをしたくてはいけないのだろう、この苦しみはいつまでつづくのだろうか…」と、将来をとても悲観していたのを覚えています。そんななか、どうにか現状を打破できないかと悩んでいるうちに「そもそも健康の土台とはなにか?」を真剣に考えるようになったのです。
そうした体験から導き出した答えは、まず、鍼灸などの伝統療術をうけつつ「生活習慣を見直してみる」というとてもシンプルなことでした。
健康をとり戻そうと決意してからはさまざまな課題はあったものの、早寝早起きを実践しつつウォーキングに励み、病気にとらわれず毎日をできるだけ楽しく過ごしていました。20歳前半の若者にしては、健康的すぎる生活をすごしていたのではないかと思います。
そんな規則正しい生活を送りしばらくすると、不思議なことに今まで効果がなかった治療がとても効くようになり、何をしても良くならなかったつらい症状が改善し始めてあるべき健康をとり戻すことができたのです。
病気になって気づいた大切なこと
自分の病気から学んださまざまなつらい経験は、今では仕事にも大きく役立っています。
当時は藁をもすがる思いでかけこんだ病院の医師からは「君の病気は治ることはないから上手くつき合うしかないよ」といわれて落ち込んだこともありました。さらに「東洋医学を学んでいる者は絶対に治らないし、私とは相性が合わないからもう来なくていいよ」などの、心無い言葉にとても傷ついたこともありました。
そんな、さまざまな経験から学んだことは「自然にできた病は、自然の力によってのみ治る」というあたりまえの自然界の原理原則でした。
人間という生物は、知能が発達しすぎたぶん「思い癖のストレス」が精神にダメージをあたえ「不摂生のストレス」が肉体にダメージをあたえつづけます。そうした心と体のストレスが限界を迎えたところで、さまざまな病気を発症するようになるのです。
また、つらい病気というのは体からのSOSのシグナルでもあるため、日常生活のなかで改善しなくてはいけないことを教えてくれるきっかけになることもあるのです。
私たち人間の体にはもともと、さまざまな病気を治癒させるための治す力が備わっています。その自然治癒力を最大限に発揮するためにはまず、体のバランスを整えながら生活習慣をみつめ直してあげることがなによりも大切なことであることを私は学びました。
どれだけ新しい治療法を受けたとしても、どれだけ効能のあるお薬を飲んだとしても「280日かけて人間の体を作った力」がさまざまな健康問題を根本から治癒へと導いてくれる真実はけしてかわらないのです。
治療家である私たちの仕事は「あなたの体の声に耳をかたむけつつ、ゆがんだ体のバランスを整えることで病気が治るためのお膳立てをすること」です。
しかし、本当の意味でさまざまな病気を治癒へと導くことができるのは、医師でも治療家でもなくあなた自身なのです。私は、そんな懸命に頑張っているあなたを心より応援しています。
まの鍼灸接骨治療院
院長 藤井康徳